会員専用 一般の方へ トークリレー

果樹園芸  辻川 誠

みなさん、こんにちは! 立川支部会員の辻川です。日頃は事務所協会本部の木造耐震専門委員会の協力委員としても活動しています。
 今日は果樹園芸について書きます。
果樹園芸といっても、ただ、気に入った果樹の鉢を買ってきて育ててみた、という感じです。以前はシンビジューム、デンドロビューム、ファレノプシス(胡蝶蘭)などの洋蘭を育てたこともありますが、手間が掛かるし温度管理も必要です。それに比べると果樹は、ある程度の大きさに育ってくると勝手に実を付けてくれます。とはいっても園芸店で苗木を買ってきて、実を付けるようになるのは種類にもよりますが、5~7年程度は掛かっているように思います。桃栗3年柿8年、柚子のおお〇〇18年と言いますので、まあそんなものなのでしょう。
 まず、最初に実を付けるのがサクランボ(桜桃)です。ソメイヨシノより少し早く開花し、5月の初旬には実をつけます。実が赤くなる頃になると近所の鳥たちも、これに目を付け、ごっそり持って行かれることもしばしばです。枝が伸びすぎてきたので、昨年に強剪定をしたため、今年は実の付き方が少なくなりました。
さくらんぼ今年の収穫
 
 
 
 
 
 
 
    サクランボ        今年の収穫
 

 次の写真は梅です。南高梅です。5月撮影なのでまだ色が青いですね。正に「青梅」。熟していない梅の実には毒があるので、そのままでは食べられません。梅酒に付けるのがよさそうです。梅の実の写真の右下あたりに、隣に植えてあるグミの実がこっそりと顔を出しています。「青梅」と言えば、青梅線が思い浮かびます。最寄りの西立川駅では休日になると昭和記念公園に行く人で賑わいます。立川基地だった頃は閑散とした駅だったのですが、だいぶ様子が変わりました。

梅とグミ
 
 
 
 
 
 
 
    梅とグミ
 

次の写真は柚子の花です。実がなるのは秋から初冬の頃でしょうか。シロバンバ(雪虫)が飛び始めるような時期です。実がなるまで本当に18年かかるのかは分かりませんが、かなりの年数を要するのは確かなようです。柚子は柑橘系の植物です。葉は山椒、カラタチ、などと並んでアゲハチョウの幼虫の餌になりますので、アゲハチョウがよく飛んできます。柚子の実は冬至にお風呂に入れます。次はナツメの花です。とても小さな花がたくさん咲きます。ナツメは夏芽というぐらいなので、春の新芽が出てくるのが非常に遅いのが特徴です。他の植物が新緑で青々していても、なかなか芽がでてこないので枯れてしまったのではないかと心配しますが、初夏になると芽吹いてきます。花付きは多いのですが、落花が多いので、どの程度実がなるかは分かりません。
柚子ナツメ
 
 
 
 
 
 
 
    柚子の花         ナツメの花

 
この他に、ユスラウメ、桑(園芸種)、プルーンが実を付けてくれました。
果樹は新芽の爽やかさ、開花、そして数は少ないのですが実の収穫が楽しめます。ブルーベリーなどは秋の紅葉もきれいです。果樹園芸は四季の移り変わりを感じることができてとてもいいものですよ。

[16.07.20]

手打ちうどんの会 石井 良二

会員の皆さんには何時もお世話様です。
支部会計の石井設計の石井のトークリレー、前回から間が空きましたがそろそろ、期限切れということで、私の最近始めました手打ちうどんの会のことをお話します。
 
きっかけは平成26年の春、東大和市のうどんの講習会が近所の公民館にて募集されましたので、応募しましたところ、講習参加の通知がきました。
しかし、いざ講習会当日になると風邪の為、参加できそうにないので今日は、風邪の為参加できませんと伝えに行きました。
そのあとも2日くらい講習会がありましたがいちども参加できませんでした。それで来年以降だと落胆していたところ、講習会に参加した有志で手打ちうどんの会をたちあげるので、参加しませんかと公民館より連絡がありそれではぜひ参加したいと連絡しました。

 
当日5~6名の参加者が集まりました。
最初の3か月は月の第2水曜日に公民館で開催するということが、公民館の担当者が設定してくれました。
最後に公民館のロッカーの使用権を得るためにはだれかグループでひとり名前を書いてくださいとのことで、それなら石井さんが名前を書いてくださいということとなり仕方なく私が書きました。
 

いよいよ第1回目の手打ちうどんの会が行われました、道具は東大和市の保健センターから借りて用意されていました。
参加者のなかには、手打ちうどんを何年もされている方がいたので、その指導の下、講習会用の手打ちうどんのうちかたを見ながら、共同で全員が体験出来るようにかわるがわるにすすめました。
特に私は体型からして、うどんの足踏みに適しているということで他の人より、多めに回数を踏みましたがその他のことは手捏など見ているほうがおもでした。
 

4回目以降部屋取りは月初めの調整会議に出席して公民館を使用するグループが希望使用日を提出して重なると話し合いするという役割と、保健センタ―から手打ちうどんの道具を借りてくるという役割の担当に、自然となりました。ゆえに毎回出席しないわけにいかなくなりました。
 
そうこうしているうちに2年近くなりました。去年から月2回位のペースで開催しております、是非参加希望の方は石井まで連絡ください。

 
最後に我々うどん楽会の作り方を報告します。
 
粉:手打ちうどんの小麦粉500グラム  水:240グラム  塩:20グラム
 
1:食塩水をぬるま湯でつくる 
2:小麦粉と食塩水と混ぜ合わせ、そぼろ状になつったら捏ねて丸める(コツがいります)
3:ビニール袋の入れてねかせる約30分位以上
4:米袋くらいの厚みのあるビニール袋に入れて足で踏むこと100回以上 
5:捏ねてまたねかせる20分位
6:米袋に入れて足で踏むこと50回以上
7:踏んだ後にのばすとは打ち粉を振つた台の上で生地を麺棒で縦と横に押しながら、のばします厚さは3mmぐらいになるまでが目安です
8:のばした生地にたっぷり打ち粉をし、びようぶだたみに折り幅3mmに切り、くっつかないように、打ち粉を振ります。
9:沸騰したたっぷりのお湯に麺をほぐしながら入れ、麺が浮き上がったら、吹きこぼれない程度に火を弱め7・8分間ゆでて、かげんをみてとめるそして水洗いをする、冷たいままでも、アツイスープの場合は湯通しをして食べます。

 
なかなかうまくできませんが少しでも向上したいと、会員共々楽しくやっております。うどんを自分で食べると最高においしいです。
    

[16.02.03]

多摩湖サイクリングロード  内山浩一郎

多摩湖サイクリングロードは、全長21.9kmあり、週末はそのごく一部をランニングしています。(気が向かないとサボりますが・・・)
走るのは早朝だったり、寝坊したら夕方だったりとまちまちです。あくまで気楽に走るようにしてます。
 
近頃は、富裕層でもプロ仕様のランニングマシンを自宅に置くことが流行っている?
http://www.enrich.jp/sport/20150703-12787
そうですが、今ごろの最新マシンは、大型タッチスクリーンを搭載して、飽きさせない工夫が満載されています。
 
しかし・・・走る人を飽きさせないことでしたら、多摩湖サイクリングロードも負けてません。
しかも始めるためのイニシャルコストはゼロ円です。
 

多摩湖サイクリングロードの魅力の一部をご紹介します♫
 

道は緑が多くとても感じがいいです。

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初夏の早朝を走ったときはこんな写真も撮れました。
おおよそ6年の歳月を地中の中で過ごし、羽化を始めていたアブラゼミに遭遇しました。
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道路に面して建つ家も楽しませてくれます。まるで絵本にでてくるような感じの家です。
また、この通りには建築資料集にも掲載された住宅も建っています。中には入ったことはありませんが、いつも気になっています。
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夕方になると多摩湖の周辺にカメラを持った人たちがぽつぽつと集まり始めます。これからとても楽しいことが起こるのです。
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その楽しみとは、何といってもこれです!
 
 
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                お姉さん・・・
 
 
 
 
 
 
ではなく、この風景です。夕日を浴びて真っ赤になった多摩湖の風景に通る人たちが絶賛の声を上げます!
「わぁ~すごい!」
「これっ、やばくねぇ!」
「まぁ・・・素敵ねぇ・・・」
口にする言葉は、人それぞれですが、感動するという点では共通してます。
これを見れたときは1週間の疲れも吹っ飛びます。

夕景
 
身近にこれほど優れた風景がある中古の我が家。
駅から遠くても、坂道がたくさんあっても、コンビニが近くに無くても・・・安かったし・・・。
まっ、いいかな・・・とつい思えてしまいます。

[15.07.31]

「私のバイク歴」 大久保精則

初めてバイクを運転したのは、高校1年生15歳の夏でした。友人が乗ってきた商業用原付バイクを西武線沿いの畑道に持ち込んで、クラッチとギアチェンジの操作を教わり、線路に向かってバイクを走らせユーターンして戻ってくる。最初はエンストを繰り返しながらも何とか走れるようになると風を切って加速していく気持ち良さを知り、何回か走っているうちにいつのまにかスピードを緩めるタイミングが遅れて、思わずフルブレーキをかけたらそこは土の畑道、思いっきり転倒し、そのまま線路の垣根に突っ込んでしまいました。垣根というのは枕木の支柱にバラ線を数段張り巡らしたもので、スティーブマックイーンのように(!?)バラ線に突っこんだ次第です。その時の腕の傷跡が今もかすかに残っており、その傷跡を見る度に当時のことを思い出します。

 

その後はちゃんと免許を取り、いろんなバイクと出会うことになるのです。
免許を取って最初に乗ったのは、叔父から譲り受けたスズキT500。当時白バイにも採用されていたツーサイクル500ccの2気筒、長いシート(余裕で3人乗れた)が特徴でした。初めてのツーリングは、このT500で友人達と十数台で軽井沢へのツーリングでした。
また、アルバイトですし屋の出前の配達をした折は、荷台に出前器付きのヤマハメイトを自宅に乗って帰っても良いと店主が言うので、このヤマハメイトで荷台の出前器に学生カバンを載せしばらく高校に通ったこともありました。

 

高校3年生の夏には、友人から借り受けたホンダのCB750K2(逆輸入車でメーターがマイル表示)で西伊豆に一泊のツーリングで初めてパンクに遭遇。当時は四輪用のタイヤパンドーしかなく、目検討で半分位をタイヤ(チューブ)に直接注入して何とか自宅まで帰った記憶があります。
 
高校卒業後と同時にバイクも一時卒業したものの、成人式を終える頃ヤマハDT250を手に入れてしばらくするとハーレーを代表とするホースバックライディングのバイクがはやり始、懐具合からハーレーは無理なのでアメリカンタイプのヤマハXS650を友人と一緒に購入しようとバイク屋へ申し込みに行ったところ、3気筒DOHCエンジンのXS750が目にとまり、友人と同じバイクではつまらぬと思いこの3気筒XS750に決めました。ハンドルを一文字の小さなものに替えハーレーのつもりで初めてのひとりツーリングは、石川県狼煙。中央高速の塩尻で降り、大町、白馬を経て国道の山道を走りぬけ糸魚川へ。駅近くの木賃宿を見つけ一泊。何とその宿の主人はバイクを玄関の土間に入れるようにと言ってくれたのをうれしく思い出します。翌日狼煙を目指し能登半島を一周。金沢でもう一泊し、日本海側から琵琶湖を通り,京都の友人に会って、名神・東名で帰宅。翌年は、マイナーチェンジした新型XS750で三重県尾鷲の友人の実家でお世話になったあと、奈良を抜け大阪茨木の友人宅でお世話になり、京都の友人に会って名神・東名で帰宅。とひとり気ままなツーリングを楽しみました。
また、途中ハスラー250を購入するも本格的にラフロードを走ってみたいと125ccのモトクッサーを中古で購入し、軽の中古トラックも買い入れそれにモトクロッサーを積んで桶川周辺に走りにも行きました。
 
結婚して数か月後の30歳の時に仕事で青梅に向かう途中新青梅街道瑞穂町長岡付近の道路補修工事箇所で自己転倒。後ろを走行していたCB750Fボルドールのライダーが大丈夫かと声を掛けてくれ、何で転倒したのか判らないが車線変更した途端に後輪がふらつき足払いを食ったように転倒したと答えると正にその通りに見えたと言う。お蔭様でXS750は大破したものの本人は軽傷で済みました。バイクの回収を依頼する電話をし、道路補修工事を眺めながら修理屋を待った。ほどなく修理屋が来てくれ、トラックの荷台に乗せ一緒に帰宅。しばらくして修理屋からタイヤに樹脂状の接着材らしきものが付着していると連絡があり、道路補修工事で車線の塗り替え作業の工程で、清掃後樹脂を塗り、塗装していたのを思い出した。間違いなくその樹脂の上を横切ったのだと確信した。すぐに東京都へ電話で事情を説明し、該当場所の工事施工者を教えてもらい直接施工業者に電話して事情を説明すると、確かに工事中バイクの転倒を見たという。しかし工事作業者の誰も何も声を掛けてくれなかったぞ、ふざけるなと言いたいのを我慢し、修理代を支払うよう伝えた。修理代は締めて40万円、無事支払ってもらったものの、家の大蔵省から生活費に充当するよう、そしてバイク禁止令が発せられた次第です。
 
結婚後多摩市民となってから同じ団地に住むヤマハFJ1100に乗る友人が出来、その友人がBMWR1100Rを買うのでヤマハFJ1100を私に買わないかと持ち掛けてきたのを機に40歳を目前に再びバイクに跨ることとなりました。その友人とのツーリングが楽しみでしたが、その友人は残念ながら癌で11年前に亡くなりました。彼との最後のツーリングは彼が亡くなる半年前に行った川崎大師。行きは国道16号から保土谷バイパスに乗りあとは彼の後を着いていくだけで高速で横浜を経由して川崎へ向かうという意表を衝く行程でしたが、いったいどこへ行こうとしているのかという不安とスリルを味わうことが出来た印象深いツーリングとなりました。その後、彼のBMWを乗り継ぎ今に至っております。また12年ほど前に従兄弟からTOMOS(オランダ製の原付)を頂き現場用に使用しており、今はBMWR1100Rと二台に乗っています。友人が亡くなってからは、あまりツーリングに出ておらず、6月にユーザー車検も取ったことだし今年こそはちょっと足を延ばしてツーリングに行ってみようと思っている今日この頃です。

[14.08.07]
「私のバイク歴」 大久保精則「私のバイク歴」 大久保精則

我が家の家庭菜園 浅見光義

こんにちわ たちかわ支部 浅見建築設計事務所の浅見です。 
私は知人の土地を借りて家庭菜園を毎年しています。
今日はその経過を報告したいと思います。

 

○ 4月下旬に夏野菜(トマト、きゅうり、なす、万願寺唐辛子等)の苗を購入して5月連休中にお借りしている畑に植えました。
 
1、最初は肥料を畑に沢山施しました。
2、畑の乾燥を防ぐ為、マルチを敷いて苗を植えます。
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3、5月27日頃にはきゅうりやミニトマトが大きく育っています。
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なすは少し小さいかな?  
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4、6月12日にはミニトマトが食べられました。ハウス栽培と違い味が濃く美味しいです。

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なすも大きく育って食べごろです。
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6月17日には沢山収穫し美味しく頂きました。
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ちょっとふぞろいのきゅうりです。残念

      

[14.06.23]

運転中です。:西村憲一

車を運転中に携帯電話をいじることはどうやら禁止らしい。
どういう了見で人の行動を束縛するのか。禁止するからには理由があるにちがいない。

言うまでもなく、注意散漫になり、 危険とのこと。運転中に電話をすると内容に気を取られ 運転がおろそかになるという。

それは、意識の問題である。

 

ならば、運転中の哲学はどうなのだ?

どのテーマも一度気になり出すと かなり手強い。

携帯の日常的な会話とは比べものにならないほど意識をうばわれるはずだ。しかも、大抵は答えは出ない。意識散漫な状態がずっとつづくのだ。携帯電話よりも、 運転中の哲学を禁止にすべきではないか。

 

「あなた、いま哲学してましたね?」

こう問いかける時、人は何で哲学しているかを判断するのだろうか?遠くを見つめる眼差しだろうか?それとも、明らかにそれとわかるしかめっ面か?そこには人が哲学する時に見せる明示的表徴はどんな状態かという新たな問いがある。

しかし残念ながら、それはまだ発見されていない。ならば哲学はまだいいとしよう。問題はそれほど逼迫していないだろう。無理に運転中に哲学する必然性もないじゃないか。

 

しかし、最近浮気がばれ、離婚問題を抱えた社会的に地位のある人、の場合はどうだ。これは、気になる。気になるというか目下人生最大のテーマだ。

なぜバレたのか?慰謝料は?会社は?

考え出すと運転どころじゃない。人によっては哲学よりも重い可能性がある。いや、確実に重いと思う。しかし、これも哲学同様に明示的には表に現れない。結局、哲学であろうが、離婚であろうが、失恋であろうが、今夜の食事であろうが、人は気になることは気になるわけだし、それは禁止出来るものではない。

 

ただ、携帯電話というわかりやすい道具を使った時のみ減点されるのだ。思考するがゆえに人であり、それこそが生きている証に違いないと思うのだ。車中では自ら思考する上では自由なのだ。思考する自由はまだ侵されていないが、もし明示的になった場合には、禁止される恐れがある。
そこで世界の発明家たちにお願いしたい。
人生のテーマや日常問題を考えるために便利な道具はどうか発明しないで欲しい。だがコミュニケーションこそが、人の存在理由だと思う方は、いまこそ大いに声をあげてもらいたい。

わたしは思考派だが、コミュニケーションも思考とともに、人を成り立たせる車の両輪の様なものだと思っている。応援するのはやぶさかではない。

[14.05.05]
運転中です。:西村憲一

シロと私:鈴木馨

私の運転する車の左側前輪にいきなり飛び込んで来たのはなんと二匹の白い猫だった。ドーンとぶつかったかと思ったら一気にUターン。その速さといったら人間の動体視力ではとても追いつかない。二匹の後方、つまり追いかける側の猫が今回の主役である。名前はシロと言う。

 

そのシロが我社の玄関先にひょっこり現れたのは、その日から遡ることちょうど一年ほど前のうららかな春のことだった。子供を宿していると想像できる、その少し大きめなお腹で物欲しげに見つめる目は、その当時大の猫嫌いであった私でも何か食べさせてあげなくてはと、人間としてごく自然な行為に発展させた。そして少し薄汚れてはいたが、体が白っぽかったので単純にシロと名付けた。

 

毎日のように来ていたシロがしばらく来なくなったが、久しぶりに見せた姿のそのお腹はへこんでいた。どこかで出産、それとも流産、1ヶ月も経った頃だろうか、シロにお弁当のウインナソーセー ジを与えると、口にくわえてどこかへ運んで行き15分くらいで戻って来た。1本ずつくわえ、何度も何度も往復した。それは今思い出してみても泣けてくるほどけなげで感動的な姿であった。

 

その後小さな子猫たちを連れてくるまでにそれほど時間を費やすことはなかった。3匹の小さな縞模様の子猫たちはとてもかわいく、時間になると皆でエサをねだりに来る。会社ではもうアイドルだ。

 

また私は、寒い冬が来る前に、そして皆がこの寒い冬を越せるようにと、会社のベランダ(1階)に猫ハウスを作ることにした。大きめな段ボールを二つ横に重ね、緊結すると共に中央をくりぬき、外断熱のビニールシートで囲った入り口の小さい、二部屋のとても暖かいハウスに仕上がった。中にはふわふわのペット用毛布を敷き詰めた。 買い出しから始めて合計7時間半もかかった苦心の家だ。

 

なかなか住む気配はなかったが、ある日夜中にそっと中を覗くと、何とシロと目が合ったのだ。苦心して作ったこのハウスにやっと住んでくれたねと、このとき私は歓喜のあまり涙が出てきた。この時の感動は今でも忘れられない。

 

結局、この冬は4匹皆でこのハウスで過ごすことになった。私は子猫たちを、キー、チョビ、ビビと名付けた。夜間の残業時間になると、私が仕事で座っているイスの後ろの小さな隙間にシロがもぐり込んできて寝てしまう。


シロにとってはこんな狭いところこそ一番安心して眠る事のできる場所だったのかも知れない。私もシロと同様にお尻の温もりがとても幸せだった。

そんなシロを私はいつの間にかこよなく愛してしまっていた。

 

@シロと私:第2編へ続く

[14.05.05]
シロと私:鈴木馨